【5分で分かる】消費者金融・サラ金の歴史について

お金に困った時に金を貸してくれる存在として、広く知られているのが「消費者金融」です。

テレビCMや電車のつり革広告で、消費者金融の宣伝を見たという人は多いはずです。


世間一般にも広く知られている消費者金融も、当然ながら誕生から現在に至るまでの歴史があります。

ここでは、消費者金融が現在の体制になるまでの歴史と変遷を見ていきます。


消費者金融はどうやって生まれた?

消費者金融,歴史

すべての物事に始まりがあるように、「消費者金融」にも始まりの歴史があります。

ここでは、消費者金融の前身となるものがどのように生まれたか、また、当時の融資申し込み条件はどのようなものだったかなどを見ていきます。

始まりは1929年、ある銀行が始めた小口融資から

1929年というと、「世界恐慌」が起こった年として記憶している方も多いと思います。

この年、日本では消費者金融が誕生するきっかけとも言える、ある銀行の個人向け融資がスタートしました。


その銀行とは「日本昼夜銀行」という銀行で、当時は小口融資が専門でした。

この昼夜銀行の小口融資が“日本初の個人向け融資であった”とも言われています。

今よりも厳しかった申し込み条件

「日本昼夜銀行」の融資申し込み条件は、現代の消費者金融よりも厳しいものでした。

一例をあげると、

・東京および近接所在の官庁に2年以上勤務していること

・もしくは上記に相当する企業に2年以上勤務していること

・25歳以上であり、結婚していること

・十分な資産を持つ25歳以上の連帯保証人を2人用意できること


などがその条件で、申込者に対して厳しい条件を設けていたことが分かります。

ちなみに、現代の一般的な消費者金融は全国どこからでも申し込むことができます。

また、20歳に達していて安定収入さえあれば配偶者も連帯保証人もいりません。

1930年、三井銀行の個人向け融資がはじまる

日本昼夜銀行が個人向けに融資を開始した翌年(1930年)、現在の三井住友銀行の前身である「三井銀行」も個人向け融資を開始します。

ただし「個人向けの融資」といっても、このときの三井銀行は誰にでも融資を行っていた訳ではありません。


融資を申し込むことができたのは「三井グループ」で働いていた従業員に限られており、この融資はいわば「社内貸付制度」のようなものだったのです。

なお、この当時、“自分の勤務先からお金を借りる”という融資はほとんど行われた事例がなく、この制度を日本で初めて取り入れたのが三井グループであると言われています。


1929年、1930年と立て続けに開始された日本昼夜銀行と三井銀行の個人向け融資でしたが、1941年の太平洋戦争の勃発を機に事業が一時途切れることとなります。

戦時中の混乱や、企業の持っていた余裕資金は太平洋戦争後、復興を急務とする産業へ回されたことなどが重なりました。

その後、1950年代までの約10年間は、個人向け融資が行われることはありませんでした。

<関連記事>:【元銀行員が解説】消費者金融とは?サラ金との違いは?



1950年代、「サラ金」が誕生する



1950年代に入ると、個人向け融資がふたたび行われるようになります。

消費者金融誕生の“起源”となったのは日本昼夜銀行が始めた小口融資でしたが、1950年代に入る頃には、いまの消費者金融の原型とも言える「サラ金」が誕生しました。

1956年、「日本信販」がサラ金をスタート

現代でも信販業界大手である「日本信販(現:三菱UFJニコス)」が1956年、「チェーン・クレジット」というサラリーマン向けの小口融資事業を開始しました。

サラリーマンをターゲットにしていることから、「サラリーマン金融(=サラ金)」とも呼ばれた小口融資のビジネスモデルは、この頃、日本信販によって作られました。


その後ほどなくして、三洋商事、関西金融(ともに現在はSMBCコンシューマーファイナンス)といった企業も同様の融資事業を開始し、企業によるサラリーマンを対象とした小口融資は世間にも広く浸透していくこととなりました。

余談ですが、ご年配の方ならご存知の消費者金融「武富士」が誕生したのは、この10年後の1966年です(創業時の屋号は「富士商事」)。


団地に住む家族向けの融資(いわゆる「団地金融」)で事業を急拡大させ、1974年に「武富士」と社名変更しました。

「サラ金」という呼び名の変遷

今では「消費者金融」として広く知られている貸金業者ですが、かつては「サラ金」と呼ばれていたことがあります。

このように、“貸金業者”を意味する呼び名にも、その時代ごとに変遷があります。

これまでの変遷を簡単にまとめると、下記のようになります。


・1960年代の呼び名…団地金融、勤人信用貸(つとめびとしんようがし)
1960年代、今でいう消費者金融は「団地金融」や「勤人信用貸」という名称で呼ばれていました。

団地金融の由来は、主に団地に住んでいる人たちを対象に融資を行っていたためです。


また、「勤人信用貸」については、(言葉からすぐに意味が分かると思いますが)仕事をしている人の“信用”を担保に融資を行う、信用してお金を貸す、という意味です。


・1970年代の呼び名…サラ金、街金(まちきん)
1970年代に一般利用者向けの小口融資は、「サラ金」「街金」と呼ばれていました。

サラ金は“サラリーマン金融”の略語で、多くの場合、融資の対象がサラリーマンであったことが由来とされています。


街金という名前の由来は、当時は街中にサラ金の営業所が密集していたことから、「街中にある金貸し=街金」と呼ばれるようになった経緯があります。


・1980年代以降の呼び名…消費者金融
1980年代に入ると、それまで「サラ金」と呼ばれていた貸金業者が「消費者金融」と呼ばれるようになりました。

1970年代後半から「サラ金の過剰な取り立てを苦にした自殺」、「高すぎる金利が原因の生活苦」などが多発し、それが“サラ金地獄”として多くの人に知られることとなりました。


「サラ金」という言葉に恐ろしい印象がつくと、利用者が減ってしまう恐れがありました。

このため貸金業界は、「消費者金融(=消費者のための金融)」という新しい呼び名を、世間に浸透させるように推し進めました。


呼び名を変えることで、イメージチェンジをはかったという訳です。





ご年配の人なら、上記のCMを一度は見たことある人もいるはずです。

これは当時、業界大手だった「武富士」のCMです。


奇抜ではあるものの、過去の「サラ金」のイメージを払しょくしようとする意図が感じられます。

こうして、今ではサラ金という呼び名を使う人は減り、多くの人が「貸金業者=消費者金融」と認識しています。

<関連記事>:武富士とは?異端の消費者金融!栄光から転落まで



1970年代後半、海外の消費者金融が上陸



1970年代後半になると、海外から「外資系の消費者金融」が上陸し、営業を始めます。

この頃を境に、消費者金融市場は大きく成長することとなりますが、それと同時に、借金による生活苦が社会問題化し始めます。

1977年、米国の大手消費者金融が日本で営業開始

1977年、アメリカの大手消費者金融である「アプコ・ファイナンシャル・サービス」が日本へ上陸、貸金業者としての営業を開始しました。

これを皮切りに、複数の外資系消費者金融が日本での営業を開始します。


先に外資系のクレジットカードである「ダイナースクラブ」が上陸していましたが、海外かられっきとした「消費者金融」が日本にやって来たのは、1977年の「アプコ・ファイナンシャル・サービス」が初めてです。

この頃、借金苦による自殺が社会問題化する

それまでは「借金=恥」と考える人が多かった日本でも、1970年代には消費者の意識に変化が見られるようになりました。

その結果として、消費者金融の利用者はどんどん増加していきました。


消費者金融市場は大きく成長しましたが、一方でこの頃から消費者金融による強引な貸付や激しい取り立て、多額の借金で生活苦に陥った人の自殺などが急増し、社会問題化し始めます。

<関連記事>:多重債務者とは?借金解決の方法は?

貸金業法の改正を受け、利用者が減った外資系消費者金融

日本で営業を開始してから30年ちかくものあいだ、安定して利用者を獲得し続けていた外資系消費者金融ですが、その人気は2006年まで続きました。

1970年代の営業開始当初から、外資系消費者金融は「国内系の消費者金融よりも低金利である」という大きなメリットを持っていました。


ちなみに、最初の頃の年利は、国内系の消費者金融が109.5%、外資系消費者金融が49.0%と、2倍程度の開きがありました。

しかし、2006年に「貸金業法改正」が成立したことに伴い(完全に施行されたのは2010年)、それまでは高金利であった国内系の消費者金融が、外資系の消費者金融と変わらないほど低金利になりました。


そうなると、外資系消費者金融には“コレ”といった特徴がなくなってしまうため、多くの人が「安心感のある国内系の消費者金融」を選択するようになりました。

貸金業法の改正がきっかけで、消費者金融市場は縮小の一途をたどり、外資系消費者金融は軒並み撤退することになります

<関連記事>:貸金業法とは?分かりやすく解説!


2000年代、「過払い金請求ブーム」で打撃を受けた消費者金融業界



2006年、払いすぎていた利息の返還を求める「過払い金請求」を行う人が一気に増え、消費者金融業界に大打撃を与えました。

この背景にあったのは、「グレーゾーン金利」の違法化、貸金業法の改正です。以下で簡単に紹介します。

過払い金が発生する原因となった「グレーゾーン金利」とは?

「グレーゾーン金利」とは、法律の“穴”を狙って不正に高く設定された金利のことを言います。

下の2つは、どちらも消費者金融の利息に関わる法律ですが、両方の内容には若干の違いがあります。


利息の払いすぎと切り離すことができないのが、「グレーゾーン金利」です。グレーゾーン金利とは、簡単に言うと“法律の穴”をついた金利のことです。

かつて消費者金融の金利には、下記のように内容の異なるふたつの決まり(法律)が存在していました。


1.利息制限法:貸付金額に応じて15~20%以内の金利とすること。20%を超える金利は無効とする。

2.出資法:29.2%以上の金利を請求した場合、罰則を与える。


1を見ると、「20%を超える金利は無効」とはなっているものの、特に罰則があるとは書かれていないことが分かります。

そこで、「守らなければ罰則があるのは“29.2%以上の金利を請求してはいけない”という法律だけだから、それを超えない範囲でギリギリまで高く金利を請求しよう!」ということで借主に対して不正に請求されていた金利が「グレーゾーン金利」です。

<関連記事>:グレーゾーン金利って何?

2006年、グレーゾーン金利に苦しむ人たちが過払い金請求を始める

2006年1月、最高裁判所によって「グレーゾーン金利を無効とする判決」が下されました。

さらに、この翌年の2月にはこれまでグレーゾーン金利として支払われた過払い金に、年率5%の利息をつけて借主に返還すべきという判決も下されました。


このことをきっかけに、2006年から過払い金の返還請求を行う人が一気に増えました。

消費者金融は、「グレーゾーン金利の廃止」と「過去にさかのぼっての過払い金返還」を想定しておらず、多くの企業が経営が困難になるほどの深刻な損害を受けました。


このことが原因で日本から撤退していく外資系消費者金融、廃業する国内の消費者金融が相次ぎました。

<関連記事>:消費者金融の過払い金請求で気を付けたいことは?

貸金業法改正により、消費者金融に対する規制強化

「グレーゾーン金利」が最終的にどうなったかというと、「貸金業法の改正」に伴い、“グレーゾーン”がなくなるように改善され、法律上の上限金利は20%となりました。

貸金業法(旧称は「貸金業の規制等に関する法律」)の改正は2006年12月に公布され、段階的に施行されました。主な内容は以下の通りです。


・グレーゾーン金利の廃止

・取り立ての規制強化

・過剰貸し付けの抑制(総量規制の導入)

・ヤミ金対策の強化(ヤミ金融対策法)


中でも大きな変更となったのが、過剰貸し付けの抑制つまり総量規制の導入です。その内容は以下の通りです。


・50万円を超える借り入れ、もしくは他社との合計が100万円を超える借り入れで収入証明書の提出が必要

・年収の1/3を超える借り入れは原則禁止


これらの中身を見ても分かる通り、貸金業法の改正は消費者金融(広くは貸金業者)に対する規制強化、利用者保護を目的としております。

利用者の借り過ぎを防ぐ目的で導入された改正・貸金業法ですが、当然ながら消費者金融の事業環境は厳しいものになりました。


これ以降、消費金融の利用者は減少を続け、今に至っております(ただし、銀行カードローンに対する規制強化の影響で、2017年に消費者金融の利用者減少が止まりました)。

<関連サイト>
貸金業法 ウィキペディア

貸金業法改正の概要(金融庁)


2010年代、カードローンの主役は消費者金融から銀行へ



上では、消費者金融(を含む貸金業者)に対する規制により、消費者金融の利用者・借入残高が大きく落ち込んだ話を紹介しました。

2010年代になり、消費者金融の落ち込みを埋める形で利用者を大きく伸ばしたのが銀行カードローンです。

銀行カードローンの利用者が急増、消費者金融の落ち込み


<出典>:銀行カードローン:残高急増、過剰融資を懸念 – 毎日新聞


上の表は、消費者金融と銀行カードローンの貸出残高の推移を示しています。

2010年以降、消費者金融が借入残高を大きく落とした一方で、銀行カードローンの借入残高(そして利用者)が大きく伸びました。


銀行カードローンがこれほど伸びたのには、もちろん理由があります。大まかに書くと、以下の通りです。


・銀行カードローンのイメージが(消費者金融より)良かった

・銀行カードローンの方が(少しだけ)低金利だった

・消費者金融に課された借り入れ制限(総量規制)が銀行カードローンにはなかった

・銀行の他の収益源が落ち込み、それを埋める形でカードローンに注力した

・(世間一般で考えられてるより)銀行カードローンの審査が甘かった


こうした、いくつもの要因が重なって銀行カードローンの借り入れ残高・利用者が急増します。

ちなみに銀行カードローンに総量規制が適用されなかったのは、(消費者金融と違って)銀行なら無茶な審査はしない、と金融庁が判断したためです。


ところが銀行は、「総量規制の対象外」(つまり借り入れ制限がない)という点を武器に、利用者への過剰融資に走ることになります。

銀行カードローンの過剰融資が社会問題に

2016年の後半あたりから銀行カードローンの過剰融資問題が叫ばれ始め、2016年末頃にはマスコミ各社が一斉に報じるようにありました。

こうした報道を通じて、厳格に審査を行っていたと思われていた銀行カードローンが、かなり適当だったことが明るみに出ます。


金融庁が問題把握のために調査を開始する中、銀行自身が(正確には全国銀行協会が)カードローンの自主規制策を打ち出します。

これにより、2017年になると銀行はカードローンの審査を厳格化するようになりました。

銀行が即日キャッシング不可に!再び消費者金融が脚光を浴びる?

2018年になり、銀行カードローンの申し込み者を尻込みさせるような制度がスタートしました。

それは銀行カードローンの申し込み者を、警察庁のデータベースに照会する制度です。


詳細は以下で説明してますが、これにより銀行カードローンの即日キャッシングが不可になりました。

<関連記事>:【元銀行員が解説】銀行カードローンで即日融資ができない理由は?

即日融資に対応するキャッシングサービスが消費者金融だけになったこともあり、今後は消費者金融が再び注目されるものと思われます。


以上、消費者金融の歴史や変遷について見てきました。

1950年代に小口融資が再開された当初から1970年代に掛けては、怪しいサービスと見られていたことは上で説明した通りです。


その後、消費者金融はクリーンなイメージになり、2006年の貸金業法の改正を経て、名実ともにクリーンなサービスとなりました。

2010年代に銀行カードローンに主役の座を奪われましたが、今後も消費者金融は、利用者の借り入れニーズを満たすサービスであると思われます。

この記事のまとめ

  • 消費者金融のベースとなる事業は、1929年、日本昼夜銀行によって作られた
  • 1956年、日本信販が「チェーン・クレジット(サラ金)」の事業を開始する
  • 1970年代、外資系消費者金融が相次いで日本で営業を開始した
  • 2007年以降に貸金業法が段階的に施行され、消費者金融市場は縮小の一途をたどることになった
  • 現在の消費者金融は、貸金業法により、金利・融資額・取り立て方法など厳しく制限されている
  • 2010年代に銀行カードローンに利用者を奪われるも、再び脚光を浴びるかも?

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