武富士とは?異端の消費者金融!栄光から転落まで

かつて消費者金融の最大手であった「武富士」は、短期間で急成長を遂げ業界トップに上りつめたのち、2010年に経営破綻、2017年には完全にその姿を消しました。

武富士とはどんな会社で、急成長の原因はどこにあったのでしょうか?


また会社を思うがままに操った創業者:武井保雄とは、どんな人物だったのでしょう?

今回は武富士の創業から転落まで、解説していきます。



武富士とはどんな会社?

武富士とは
約四半世紀に渡って、サラ金業界のトップに君臨した武富士。

かつては(いい意味でも悪い意味でも)最も知名度のある消費者金融でした。その武富士とは、一体どんな会社だったのでしょうか?

業界トップの消費者金融、サラ金会社

武富士は1980年代~2000年頃にかけて、業界トップを走り続けてきました。

創業当時は全くの無名だった武富士は、わずか20年足らずの短期間で勢力を伸ばし、すぐに業界大手の仲間入りを果たします。


以下は、2001年3月期の、消費者金融大手4社の売上です。他の大手をおさえて、武富士が業界トップになっていることが分かります。

しかしこれ以降は徐々に売り上げを落とし、さらには過払い金返還の判決も影響して、2010年には(事実上)倒産しました。


2001年3月期 大手4社の売上高

会社名 売上高
武富士 4021億円
アコム 3757億円
プロミス 3596億円
アイフル 2807億円

その後は別の会社が業務を引き継ぎ、称号を「TFK株式会社」と変更していましたが、2017年にはその会社も消滅しています。

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当時から異様な会社と言われていた

目覚ましい成長を遂げてきた武富士でしたが、当時からその評判は良くありませんでした。

高額・高金利での貸し付けと異常なまでの取り立て、会社の利益のためなら何でもアリといった、いかにも悪名高いイメージが世間一般に浸透していました。


武富士の倒産後には、社内における異様な実態が明らかになりました。

出勤・退勤時には各店舗に掲げてある武井社長の写真に向かって挨拶をし、昇給や昇格、ボーナス、慰安旅行があれば、社長や本部長、社長の妻にまでお礼の手紙を書いたというのです。


武富士店舗での放火殺人事件や、社長である武井保雄氏のスキャンダル、取り立てをめぐるトラブルなども多く、業界の中でもかなり異様な存在として知られていました。

<関連記事>:消費者金融の取り立ては怖い?その実態を教えます

奇抜なCMでも話題に

武富士は、その奇抜なCMでもよく知られています。

消費者金融のイメージとはかけ離れた、黒のレオタードを着て激しく踊る女性のCMは、当時話題となりました。



このCMについては社長の趣味が影響したものとの噂もありますが、真相は定かではありません。

この頃はサラ金会社のCMが深夜の時間帯に放映されていたため、「セクシーなCMで夜更かしのサラリーマンを釘付けにする」戦略があったとも言われています。

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武富士の創業、繁栄から倒産まで

業界トップを独走し、その後姿を消していった武富士。その創業から倒産までの歩みを見ていきましょう。

短期間でのし上がった敏腕社長

武富士の前身は、1966年に武井保雄によって創業された「富士商事」です。

2年後の1968年に「有限会社武富士商事」、その6年後の1974年に「株式会社武富士」と名前を変えています。


「武富士」の創業前、武井氏は家庭を持ちながらも競輪などのギャンブルに溺れる浮浪人でした。

その後、ようやく始めた仕事が「ヤミ米(届け出なしで農家から米を仕入れ販売店に売る行為、食管法違反)」で、これによって何度か検挙されています。


武井氏が貸金業を学んだのは、この頃に付き合いがあった、貸金業を営む友人がきっかけだと言われています。

「ヤミ米」の商売でため込んだお金を会社の創立資金として、1966年に個人営業で小口金融をスタートさせました。


武富士が創業した高度経済成長の時代、個人への貸金業は「団地金融」とも呼ばれていました。

「団地を購入する、そこそこの経済力はあるものの、家族持ちで生活費やローンの返済に苦労している主婦」を対象に高利貸をするもので、創業したばかりだった武富士も、このビジネスモデルで店舗数を増やしていき、後に大きく成長します。

<参考文献>武富士 サラ金の帝王(講談社、溝口敦 著)

飛躍の80~90年代

団地金融からサラ金に進出した1973年頃、武富士(当時は武富士商事)の貸付残高は4億円程度でした。

これは当時トップだったアコムの4分の1程度の額で、サラ金業界では、まだまだ無名の存在でした。


そんな武富士が業界トップに躍り出たのは、1980年頃です。

当時個別に運営していた店舗や、別の金融会社を合併・吸収したことで、貸付残高は648億円にまで膨らみます。

1982年の申告所得は183億円で、法人所得ランキング152位と、都銀並みの実力を持ちました。


武富士の成長は、バブル崩壊後の1990年代も加速する一方で、この後長らく消費者金融のトップを走り続けます

1996年に株式を店頭公開、1998年には東京証券取引所第1部に上場します。

また1995年には無人契約機「¥enむすび」を導入、その利便性から武富士の利用者を大きく伸ばしました。

盗聴事件、業界一位からの転落

長らく業界トップに君臨していた武富士ですが、2000年の「ジャーナリスト宅盗聴事件」以降、その勢いは徐々に失速します。

武井氏と当時の法務課長が興信所に依頼し、武井氏を批判するジャーナリスト宅に盗聴器を仕掛け、その内容を盗聴していたことが発覚したのです。


2003年に逮捕されると同時に、武井氏は武富士の会長職を辞任しました。

これを機に武富士は、四半世紀にわたって守り続けた業界トップの座を譲ることになります。

アコムがトップに返り咲き、武富士は業界4位にまで落ち込みました。

過払い金請求、倒産へ

不祥事により会社のトップが入れ替わり、体制を崩した武富士でしたが、裏では依然として、武井氏がそのハンドルを握っていたと言われています。

しかし2006年、最高裁判所でグレーゾーン金利に関する判決が下されると、業界全体が大打撃を受けました。


利息制限法の上限(20%)から出資法の上限(29.2%)の間の金利(=グレーゾーン金利)での貸し付けを違法とし、債務者が払い過ぎた利息を返金するように求めたのです。

グレーゾーン金利

消費者金融各社は、この過払い金請求に引き当てる金額を用意する必要がありましたが、これにより武富士は資金繰りが大幅に悪化します。

<関連記事>:グレーゾーン金利って何?


2010年9月に会社更生法の適用を申請し、これが受理されたことで、武富士は事実上の倒産となりました。

その後、武富士は他の金融機関に業務を引き継いだうえで「TFK株式会社」に商号を変更し、過払い金返還などの返還を行う更生会社となります。


この会社更生手続が完了した2017年3月17日、TFK株式会社は法人として消滅し、武富士の歴史に幕を閉じました。

この一連の流れについて、「計画倒産だったのでは?」という声が多く上がっています。


当時、武富士は4~5,000億の負債を抱えていましたが、これは過払いを返還するための「長期的な負債」であって、すぐに支払わなければならない金額ではありませんでした。

これには武井氏が長男に贈与した、約1600億円の株をめぐる裁判(後述)を有利に進めたいという思惑もあったと言われています。実際に、この金額が長男の手元に渡っています。


武富士の異常な経営実態とは?

武富士,経営実態

会社の急成長と急落、スキャンダラスな経営陣と、何もかもが異様な武富士ですが、それは社内においても例外ではありません。

多くの元社員の証言から、武富士内部の実態が明らかになっています。

社員がいつかない超ブラック企業

武富士の異様さは、その従業員をも苦しめるものでした。

社長の写真に向かっての挨拶や、経営陣に向けたお礼の手紙などはすでに紹介しましたが、それ以外にも多くの証言が残っています。


武富士ではサービス残業がかなり多く、街で見かけるティッシュ配りや、支払いが遅れている債務者への催促の電話は、全て業務時間外に行われていたと言います。

また成績が悪い社員への恫喝(どうかつ)も相当なもので、悪質なパワハラを受けたとして訴訟が持ち上がることもありました。


このような経営実態からか、武富士では社員の勤続年数が極端に低くなっていました。

一般的な会社では、社員の勤続年数は10~15年程度と言われていますが、武富士では女性が11ヶ月、男性でも1年4ヶ月と、かなり短期間です。

会社を私物化する一族経営

武富士は東証1部とロンドン証券取引所にも上場していましたが、その株のほとんどは武井一族の持ち株でした。

その内訳は、武井氏本人が50.9%、その妻が12.29%、妻が社長を務める丸武産業(有)が24.73%など、約94%に上ります。


高額な配当金は全て自分のポケットに収まり、経営に口を出してくる外部の株主もいないため、まさに社私混同の状態だったのです。

客も社員も追い詰める

武富士の商売は、人道を外れるものでした。必要以上に高額な貸し付けをしては、それが返済できないと異常なまでの取り立てを行うのです。

何度も電話をかけてくる、家を訪ねてきて怒鳴り散らすは日常茶飯事で、中には債務者の子どもが通う小学校で待ち伏せをするというケースもありました。


現在は貸金業法により、こうした取り立ては厳しく禁じられています(違反した会社は行政処分)。

ですが当時は、こうした規制が甘く、サラ金会社はやりたい放題でした。


返せない借金を苦に自殺する人も相次ぎ、社会問題となりましたが、これほどまでに債務者を追い詰める武富士社員もまた、極限まで追い詰められていたと言います。

武富士の元社員の中には「万が一債務者が借金を返済できない場合、自分がその責任を負う誓約書を書かされた」と証言する人が少なくありません。


回収ノルマを達成できなければ、罵倒や暴力は当たり前。

しかもこれが一部の上部層の人間によるものではなく、どの支店でも同様の光景が日常的にあったと言います。



武富士をめぐるスキャンダル・事件

武富士は事件やスキャンダルの多い会社で、社長である武井氏が盗聴をしたのも、やはりこういった記事を執筆するジャーナリストでした。

武富士に関するスキャンダルや事件の中でも、主要なものを見ていきましょう。

武富士店舗への強盗殺人・放火事件

2001年5月8日、青森県弘前市にある武富士店舗で、強盗殺人・放火事件が発生しました。

犯人は店舗に油をまき、店員に金を出すよう要求。しかしこれを拒否されたため店内に火を放って逃走したのです。


3階にあった店舗には脱出できる出口も少なく、勤務していた社員5人が死亡、何とか脱出した4人も重軽傷を負いました。

犯人は自分のギャンブルによる借金と同時に、知人女性に頼まれて借りている借金もありました。


しかしその女性一家が心中したことで精神的に追い詰められ、犯行に至ったのです。

被害に遭った店舗は、犯人が直接お金を借りていた店舗ではなかったものの、「顔が知られていないから」という理由で標的にされました。


<関連サイト>武富士弘前支店強盗殺人・放火事件|ウィキペディア

長男・俊樹氏の生前贈与をめぐる裁判

武井氏の長男で、武富士の元専務でもある武井俊樹氏は、1999年に約1600億円もの資産を贈与されています。

この時俊樹氏は香港に在住していましたが、当時は海外居住者への財産贈与は非課税扱いだったため、これが「課税逃れ」ではないかと指摘されたのです。


国税当局に申告漏れを指摘された俊樹氏は、課税された約1330億円と、それに延滞税を含めた合計1600億円を納付したものの、これを不当だとして告訴。

その後、国税側の敗訴が決まり、俊樹氏は納税した1600億円の返還に加え、利子にあたる還付加算金、約400億円を手にしました。


一連の騒動を受けて、2000年の税制改正では「相続人と被相続人がともに5年以上海外居住を続けなければ非課税にならない」という「5年ルール」が盛り込まれました。

2017年には、さらに厳しい「10年ルール」に改正され、富裕層の課税逃れの取り締まりが強化されています。


<関連サイト>武富士元専務への課税取り消し、2000億円還付へ |日本経済新聞

次男・健晃氏の経営責任問題




俊樹氏の元に戻ってきた2000億円について、「還付金を過払い金返還請求の原資に充てるべき」との声が多く上がりました。

しかし当時、俊樹氏はすでに取締役を辞任していたため、その矛先は次男で元副社長の健晃氏に向かいます。


武富士の破産により過払い金の返金を受けられなかった元債務者は、集団訴訟を起こし、健晃氏の経営責任を問いました。

この裁判で話題となったのが、証拠として提出されたテープレコーダーです。


健晃氏が部下に向かって罵詈雑言を浴びせる音声が収録されており、武富士の異常な経営体制が明るみに出るきっかけとなりました。

しかし、最終的に健晃氏の経営責任を認める判決は出ておらず、過払い金の返還率も0.9%にとどまっています。


この記事のまとめ

  • 武富士は1980年代から約四半世紀にかけて、業界のトップを走ってきた
  • 盗聴事件を機に経営が傾き、過払い金請求で資金繰りが悪化して倒産した
  • かなりのブラック企業で、元社員から多くの証言が出ている
  • 生前贈与をめぐる裁判で、長男・俊樹氏が高額な還付金を受け取った
  • 武富士の過払い金返還率は、わずか0.9%にとどまる

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